ボストンの有名観光スポットであるフリーダムトレイル。
名所だからなんとなく回ろっかなーと思っている方にぜひ事前に読んで頂きたくこの記事を書きました。
事前に色々と知っていれば、もっとフリーダムトレイルの史跡を巡るのが楽しかっただろうという自分の後悔を生かして記事を書きあげましたので、これからフリーダムトレイルを巡る方の役に立てば嬉しいです。
ボストンフリーダムトレイルとは
フリーダムトレイルは、250年以上続くアメリカの「自由」への歴史が学べる名所を繋ぐ道です。
2.5マイル(約4キロ)の赤いラインを辿って、合計16か所の歴史的建造物や史跡を巡ります。
この赤いラインは街中で途中途切れている事もありますが、すぐに続きが見つかります。
ボストン市民によって保存や奉納されたアメリカ革命の歴史を、美術館・教会・墓地・公園・船・集会所などを巡りながらじっくりと学ぶことができます。
それではさっそく、フリーダム(自由)を勝ち取ってきたアメリカの歴史巡りツアーに繰り出しましょう。
フリーダムトレイルの所要時間
フリーダムトレイルの時間ですが、市内中心地に位置するボストンコモンから終着地であるバンカーヒル記念塔までの2.5マイル(約4キロ)を徒歩で回るだけなら1時間ほどで回れます。
- ボストンコモン→マサチューセッツ州議事堂 5分
- マサチューセッツ州議事堂→パークストリート教会 3分
- パークストリート教会→グラナリ―墓地 2分
- グラナリ―墓地→キングス・チャペル 2分
- キングスチャペル→ボストンラテン学校跡/ベンジャミン・フランクリンの像 1分
- ボストンラテン学校跡/ベンジャミン・フランクリンの像→オールド・コーナー書店 1分
- オールドコーナー書店→オールドサウス集会所 1分
- オールドサウス集会所→旧マサチューセッツ州議事堂 3分
- 旧マサチューセッツ州議事堂→ボストン虐殺事件跡 0分
- ボストン虐殺事件跡→ファニュエルホール 4分
- ファニュエルホール→ポール・リビアの家 9分
- ポール・リビアの家→オールドノース教会 5分
- オールドノース教会→コップスヒル墓地2分
- コップスヒル墓地→USSコンスティテューション 18分
- USSコンスティテューション→バンカーヒル記念塔 10分(公式サイト参照)
もし1つ1つのポイントをゆっくりと見て回るのであれば当然もっと時間がかかりますので、2日間に分けて観光するというのも1つの方法です。
フリーダムトレイルの地図
フリーダムトレイルにある16か所すべてが乗っている看板の写真を撮りましたので載せておきますね。
地図は、フリーダムトレイル出発地のボストンコモンの案内所でもらうこともできますよ。
正直、無くても全く問題ありません。
ただ、赤いラインを辿っている途中、分岐点のような場所が沢山あり、どちらに進むかで迷います。
フリーダムトレイルの見どころと歴史的な名所
フリーダムトレイルの公式サイトにある、16か所の歴史的な名所の見どころを紹介していきます。
歴史的背景をちょっとでも知っていることで、史跡巡りがぐんと面白くなりますよ。
フリーダムトレイル出発地のボストンコモン
このフリーダムトレイルの出発地であるボストンコモンは、平たく言えば公園です。
1634年に設立され、アメリカで最も古い公共公園でもあります。
公園には案内所がありますので、地図などが欲しい人はまずこちらへ寄ってからスタートしましょう。
ボストンコモンは、清教徒(ピューリタン)の植民地開拓者が土地の権利を購入したのが始まりです。
時代の流れで一時は家畜の放牧地として使用されたり、清教徒への罰を与える場所にも使用されました。
また、植民地時代は軍隊の訓練場、独立戦争時代はイギリス軍の野営キャンプ地にもなりました。
ボストンコモンの広大な敷地内には記念碑がいくつかあります。
中でも南北戦争最初のアフリカ系アメリカ人のみで構成された志願連隊である「第54番マサチューセッツ歩兵連隊とロバート・グールド・ショーの記念碑」は、アメリカ南北戦争の歴史を知る上で押さえておきたいポイントです。
マサチューセッツ州議事堂
1798年に建設されて以来何度も改装されていますが、現在も現役バリバリ(死語)のマサチューセッツ州の議事堂です。
この州議事堂には館内ツアーがあり、なんと無料です!
マサチューセッツ州議事堂の芝生には、ボストンコモンで昔絞首刑にされたメアリー・ダイアーの像やジョン・F・ケネディ元大統領の像などが立っていますのでお見逃しなく。
パークストリート教会
遠くからでもよく目立つ白い尖塔が印象的なこの教会は、1809年に建設されました。
1829年7月4日の独立記念日に、ウィリアム・ロイド・ギャリソンがアメリカで初めて奴隷制度反対演説を行った場所のため、奴隷制度廃止を訴える集会所として度々使用されました。
1831年7月4日の独立記念日には、サミュエル・スミスが初めて「アメリカ」を歌った場所としても有名です。
現在のパークストリート教会は日曜礼拝だけでなく、英語が第二言語の人への授業やホームレス支援、望まぬ妊娠をした女性の支援などにも力をいれている教会です。
教会内は無料で見学できますが、ミサやイベント中は見学できない場合もあります。
パークストリート教会の公式サイトはこちらからどうぞ。
グラナリー墓地
パークストリート教会の敷地内にある墓地で、アメリカの自由と独立のために戦った市民が眠る墓地です。
1660年に建てられたこのグラナリ―墓地は、ボストンとノースイーストを合わせて毎年1億人以上の最多訪問客を誇る歴史的な墓地です。
一時期はボストンコモンの一部でもあったこのグラナリ―墓地は、墓石が整理され芝刈り機が開発されるまで、放牧されていた家畜を使って墓地の芝生を管理していました。
グラナリ―という墓地の名前ですが、かつて隣にあった12000ブッシェル(穀物計量単位)の穀物倉庫「グラナリ―」に由来しています。
この墓地に埋葬されている人の数と墓石の数は一致していませんが、おおよそ5000人以上のボストン市民がこの墓地を安息の地としてしています。
- ジョン・ハンコック
- ジェームス・オーティス
- サミュエル・アダムス
- ポール・リビア
- ロバート・トリート・ペイン
墓地を見学していると、墓石のデザインに目を奪われる方も多いと思います。
この墓石のデザインは、清教徒(ピューリタン)教会が宗教的な偶像や彫像を信じていないことが発端です。
なので、ボストンの人々は死後の信念を表すための芸術的表現を墓石に彫る事にしました。
そんな墓石アートの中でも有名なモチーフは、死後に魂が天国へ飛んでいくことの描写をした「魂の似姿」や頭蓋骨である「死の頭」の両側に羽根があるものです。
他にも、精巧な渦巻き装飾、詩的な墓碑文、死神と神父の化身の描写も多くの墓石を飾っていますので、見学してみてください。
キングスチャペルとキングスチャペル墓地
1686年にボストンで最初の英国国教会として設立され、330年以上の歴史を誇ります。
現在の石造りの構造は、ロードアイランド州の建築家ピーター・ハリソン氏が設計し、1754年に完成させました。
建設中も礼拝が続けられるようにと、元の木造の建物の周りにこの石造りのチャペルが建てられました。
美しい内装は、北アメリカのジョージアン様式建築の例に挙げられるほどなので必見です。
キングスチャペルで有名な鐘は、1772年にイギリスで鋳造されました。
しかし、当初の鐘は1814年に割れてしまい、1816年にポール・リビア氏によって鋳造し直されることとなりました。
この有名な鐘については、このチャペルにある18世紀の地下室を巡るツアーと共に見学できますので、時間のある方は参加してみてください。
キングスチャペル墓地はチャペルの隣にあり、ボストン本土の最初の埋葬地でした。
- ジョン・ウィンスロップ
- メアリー・チルトン
- アイザック・ジョンソン
墓地の前にあるジョセフ・タッピング氏の墓石は、「死という事象を巡って戦う骸骨と神父の化身」が彫られています。
ボストン中で最も美しい墓石とも言われていますので、時間があれば探してみてください。
ボストンラテン学校跡/ベンジャミン・フランクリンの像
アメリカで最も古い公立の男子校です。
創立当初の木製校舎は、1745年にキングスチャペルを拡大するために解体されてしまいました。
現在の学校はボストンのフィンウェイ地区にあり、1972年からは共学となっています。
アメリカ独立宣言に署名した5人のうち1人、ベンジャミン・フランクリン氏はこの学校の元学生で、彼の像が元の校舎を示すように建っています。
オールドコーナー書店
1718年に建設されたこのオールドコーナー書店は、ボストンの1番古い商業ビルです。
元々はトーマス・クリーズ氏が薬屋兼住居として建てたのが始まりです。
その後は沢山の出版社や書店が店舗として入りましたが、その中でも有名な出版社がティックナー・アンド・フィールズ社 (Ticknor and Fields)です。
- ヘンリー・デイヴィッド・ソロー「ウォールデン 森の生活」
- ナサニエル・ホーソーン「緋文字」
- ルイーザ・メイ・オルコット「若草物語」
- ハリエット・ビーチャー・ストウ「アンクル・トムの小屋」
チャールズ・ディケンズ氏初のアメリカ版が発行されたのもこの建物です。
このように、アメリカ文学の代表的な人たちが集まり出版物を発行していた場所なので、文学史ファンにはたまらない夢のような場所です。
しかし、1960年には駐車場にするための解体という危機が訪れました。
その危機を救い、現在もこの建物が商業店として利用できるように手伝っているのが、非営利団体のヒストリック・ボストン・インコーポレーテッド(HBI)です。
オールドサウス集会場
オールドサウス集会所は、清教徒(ピューリタン)の集会所として1729年に建設されて、1768年から1775年にかけてイギリスに対する大規模な抗議集会の中心となった場所です。
1872年に解体予定となっていましたが、解体を知った「ボストンの20人の女性」グループがボストン市民から資金を集めました。
結果、1876年にはこのオールドサウス集会所は解体を免れ、1877年から現在も博物館として私たちの目の前に存在しています。
この集会所の大きな目印である高い時計塔。
この時計塔は1766年に建設され、当時のホールクロック(童謡の「大きなのっぽの古時計」のような時計です)の引率者であるガウエン・ブラウンが手がけました。
この時計塔にある銅の鐘は元々、1801年にマサチューセッツ州ウェストバーグという町のためにボストンで造られました。
銅の鐘は、2007年まではウェストバーグの色々な教会で鳴り響いていましたが、2011年10月16日の式典にてオールドサウス集会所の塔に設置されました。
旧マサチューセッツ州議事堂
現在は博物館として一般公開している旧マサチューセッツ州議事堂は、1798年の現州議事堂が完成するまでは政府機関として使用されていました。
現在の建物は1713年に建てられ、ボストン最古の公共建築物としてボストンの歴史を刻み続けています。
博物館の目玉には、ジョン・ハンコックの豪華な赤いコート、革命戦争時の武器や弾薬、そして回収されたお茶などがあります。
ボストン虐殺事件跡
1770年3月5日、ボストンの通りで市民と英国兵が衝突しあい、5名の民間人が銃火の犠牲となりました。
衝突の背景には、英国兵によるお茶などの生活必需品への関税が原因です。
この出来事から事態はボストン茶会事件へと発展していき、さらには独立戦争へと繋がっていきます。
マンホールのような史跡なので、見逃さないようにしてくださいね。
ファニュエルホール
1741年に商用の中心地として建設され、アメリカで最初の町民会議が行われた場所です。
政治的な役割はありませんでしたが、国の歴史形成に重要な集まりの本処置となったホールです。
風変りな風見鶏で有名な黄金のバッタは職人シェム・ドローン氏の作品で、オールドノース教会にも彼の作品が建っています。
建物の前にはサミュエル・アダムス氏の像が建っています。
ファニュエルホールは、残念ながらMoose(ムース)が訪れた時は改装中で、ブルーシートがぐるりと囲んでいました。
ポール・リビアの家
1680年ごろに建てられたこの家は、1770年から1800年にかけて伝説的愛国者ポール・リビアによって所有されたボストンで一番古い民家です。
フリーダムトレイルの史跡で唯一の民家となっており、家の見学を通して18世紀に生きた人々の生活を学ぶことができます。
家の中は、銀細工職人でもあったリビア氏が作った銀食器や家族写真などが飾られています。
このポール・リビア氏が行った数ある行動の中でも特に有名なのが「真夜中の疾駆(騎行) Paul Revere’s Midnight Ride」と呼ばれる行動です。
レキシントン・コンコードの戦いの前夜、イギリス軍の動きをジョン・ハンコック氏とサミュエル・アダムス氏に伝令するために真夜中に走り回りました。
現在では、リビア氏が通った道筋の所々に「リビアの騎行」という標識が立っています。
- チャールズタウンのメインストリート
- サマービルのブロードウェイとメイン・ストリート
- メドフォードのハイ・ストリート
- アーリントンの中心部
- ボストンのマサチューセッツ大通り
アーリントン・ハイツの古い町並みはポール・リビア道路とも呼ばれています。
オールドノース教会
1723年に建てられた白い尖塔が目立つボストンで最も古い教会です。
現在の尖塔は、自然災害による修復のために1954年に再建されました。
このオールドノース教会は、1775年4月18日の夜にイギリス軍の奇襲を知らせる合図である2つのランタンを掲げたことで有名な教会です。
この2つのランタンを見て、ポール・リビア氏の真夜中の疾駆(騎行)が行われました。
コップスヒル墓地
かつては風車が建っていた丘の上にあるコップスヒル墓地は、ノースエンドに住んでいた職人や商人達の安息の地です。
この墓地の名前の由来は、靴屋のウィリアム・コップス氏からきています。
1775年のバンカーヒルの戦いの間、イギリス軍がこの墓地の見晴らしのよさを利用して対岸のチャールズタウンへ砲撃訓練を行いました。
- コットン・マザーとインクリーズ・マザー
- プリンス・ホール
- ロバート・ニューマン(オールドノース教会の使用人(セクストン)でランタンを灯した人物)
- エドモント・ハート
USSコンスティテューション
USS(米国船)コンスティテューションは1797年に進水した軍艦で、現在も現役バリバリ(死語)のアメリカ軍最古の戦闘艦です。
この軍艦のニックネームは「オールド アイアンサイド(Old Ironsides)」といい、1812年のイギリス軍艦フリゲードHMS下ゲリエールの砲火をくぐり抜けたことでつきました。
現在も現役のため、コンスティテューション号は航海に出ることもあるので、見学日に港にいない可能性もあります。
しかし、ここには軍艦以外に博物館もありますので、そこまでガッカリする必要はありませんよ。
気になるコンスティテューション号の見学費用ですが、なんと無料で船に乗ることができます。
が、ツアーに参加が条件となりますので時間に余裕を持って観光予定を組んでくださいね。
バンカーヒル記念塔
1775年6月17日、イギリス軍と植民地軍が衝突したバンカーヒルの戦いは、これから続く革命戦争の未来を予測する戦いとなりました。
戦いは、弾薬不足などあきらかに植民地軍が劣勢のため、「(敵の)白目が見るまで引き金を引くな!(Don’t fire until you see the whites of their eyes!)」という有名な命令が下されました。
このバンカーヒルの戦いですが、実際に主な戦場となったのはブリードヒルです。
ウィリアム・プレスコット大佐が、当初の命令された場所(バンカーヒル)よりもブリードヒルの方がボストンに近いという理由で堡塁(石や土砂で作られた陣地)を作ったことが理由です。
結局、この戦いはイギリス軍が勝利しましたが、沢山の士官を失うという甚大な損害を受けました。
バンカーヒルの戦いから50年後の1825年、革命戦争の英雄ラファイエット侯爵によって記念碑の礎石が据えられました。
そこからすったもんだがあり、結局バンカーヒル記念塔は1842年まで完成しませんでした。
バンカーヒル記念塔は無料で登ることができますが、エレベーターなどはないので注意してください。
塔の高さは約67m(221フィート)とかなり高く、全294段の階段を上らなければいけないのでかなり気合いがいりますが、塔からの景色は素晴らしいです。
記念塔の向かいには博物館があり、刀や砲弾やジオラマの壁画などが展示されていますので、時間のある方はのぞいてみて下さい。
ボストン観光にかかせないフリーダムトレイル
長い記事に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
以上で公式サイトに載っている16か所の名所をすべてお伝えしましたが、参考になりそうですか?
1人でも楽しく観光できるようになるべく情報を詰め込みましたので、これからフリーダムトレイルを巡る方の役に立てば嬉しいです。
もし、ボストンでの滞在先に迷われている方は、コスパ最強!お得にボストン滞在するならHIボストンホステルの記事を参考にしてみてください。
また、ボストン国際空港のちょこっと話に興味のある方は、ボストン・ローガン空港のターミナルBが改装中で激ショボだった件という記事もどうぞ。