チェコにある負の遺産、テレジーン要塞。
18世紀末に要塞都市として建設され、第二次世界大戦では残念ながら惨劇の場と化してしまいました。
プラハからバスで約1時間ほどの距離にあるので、日帰り旅行に最適な目的地です。
今回はMoose(ムース)のようにツアーを使わずに訪れる人に向けて、
- テレジーン要塞を見るのにかかる所要時間
- 見学にかかる費用
- 見どころ
- 効率の良い回り方
をお伝えします。
テレジーン要塞について
テレジーンメモリアルは、大要塞と小要塞に分かれています。
大要塞にはゲットー博物館・マグデブルク兵舎・火葬場・遺骨安置所・屋根裏部屋などがあり、小要塞はアウシュビッツのような強制収容所跡地です。
想像していなくて驚いたのは、大要塞内では現在も人が居住区として生活をしている点でした。
町なので当然といえば当然ですが、メモリアルと聞いていたので大要塞と小要塞全体が記念地のようになっていると勝手に思っていました。
テレージエンシュタット(テレジーン)という町は、18世紀末に要塞都市として皮肉なことに周辺地域の住民を保護する目的で建設されました。
建設を命じたヨーゼフ2世の母、マリア・テレジアを讃えドイツ語で「テレジアの町」という名が与えられ、外国軍からの侵入を防いできました。
歴史の流れで雲行きが怪しくなるにつれ、小要塞は刑務所から強制収容所に。
大要塞にはSSの司令部や兵隊の寮などが建てられ、悲劇の幕が悲しくも開いていきました。
営業時間
営業時間は、2020年12月時点での公式サイトの情報です。
Mooseが訪れた時の写真(2019年4月)と公式サイトではすでに営業時間が変わっていました。
なので、行く前に必ず公式サイトで時間の確認をする事をおすすめします。
- 夏季4月1日~10月31日 8:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 8:00 am – 4:30 pm
12月24~26日、1月1日は休館日です。
- 夏季4月1日~10月31日 9:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 9:00 am – 5:30 pm
土曜日:休業
- 夏季4月1日~10月31日 10:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 10:00 am – 4:00 pm
30分のお昼休みがあり、時間は変動します。
- 夏季4月1日~10月31日 9:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 9:00 am – 5:30 pm
- 夏季4月1日~10月31日 9:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 9:00 am – 5:30 pm
料金
テレジーンメモリアルの料金は2020年12月時点での公式サイトの情報です。
- 小要塞またはゲットー博物館のチケット:各180コルナ
- 小要塞とゲットー博物館の共通チケット:220コルナ
大要塞と小要塞を両方回るなら、共通チケットが断然お得になっています。
所要時間
小要塞は、入館料に含まれている現地のガイド付きツアーに参加すると2時間ほどかかります。
大要塞も同じように、現地のガイド付きツアーに参加すると2時間かかるので、合計で4時間かかります。
料金に含まれているツアーですが、強制参加ではないので自分で好きなように回りたい人は不参加でも大丈夫ですよ。
Moose(ムース)は不参加でしたが、時々すれ違うガイドさんの話に耳を傾けながら回っていました。
自分で見るだけでは知る事の出来ない情報を教えてくれるので、ガイド付きツアーは時間が許すなら参加する事をおすすめします。
テレジーンメモリアルの効率の良い回り方
実際に回ってみて思った効率の良い回り方は、小要塞→大要塞です。
その理由は、1つ。
1時間かかる帰りのバスに座って帰れるからです。
オプショナルツアーに参加せずにテレジーンを訪れる方は、バスで来られる方が大半だと思います。
バスの停車駅は、テレジーン大要塞の中と小要塞から少しだけ距離のある場所の2か所あります。
大要塞で降りて、小要塞付近のバス停で帰りのバスに乗ることも可能ですが、大半の方が大要塞のバス停で乗り込んでいるので座席がいっぱいの場合があります。
テレジーンへのバスでの詳しい行き方は、ぜひ【チェコ・負の遺産】テレジーンへのバスでの行き方ガイドを参考にしてください。
写真たっぷりで詳しく説明しているので、必ず役に立つと思います。
小要塞の見どころ
テレジーンメモリアルの小要塞ハイライトを紹介します。
ハイライトと言っても、もうね・・・全部見どころですよ、正直。
なんたって悲しすぎます。
自国のひめゆりの塔や原爆ドームを見学された方は少し想像がつくと思いますが、やはり実際に自分の足でその場に立って見るとまた別格。
人間って本当にどうしようもない自分勝手な生き物なんだなと改めて思い知らされますよ。
小要塞入口の墓地
小要塞へ向かう入口前に、犠牲になった方々の墓地がズラリと並んでいます。
手前がキリスト教徒で奥がユダヤ教徒となっています。
物凄い数のお墓ですが、これが犠牲者全員分ではないという残虐さ。
数が多すぎて、要塞に入る前からすでに重苦しい雰囲気が増加します。
テレジーン小要塞のArbeit macht frei門
テレジーン要塞を知らない人でもこの門を、というよりこの「ARBEIT MACHT FREI」という文字を見たことがある人は多いはず。
アウシュビッツ強制収容所でも有名な「働けば自由になる」とドイツ語で書かれた門です。
これを信じて無惨に虐殺されていった方々の無念を思うと、やるせなくなります。
独房
テレジーンの小要塞内にある独房は、アウシュビッツと比べるとまだマシだという記述を見かけました。
Moose(ムース)は実際にアウシュビッツ強制収容所を訪れた事はないので、何とも断言できませんがテレジーンがマシって言う事自体おかしいレベルです。
この扉が閉まってしまうと、本当に真っ暗で何も見えませんでした。
写真を撮りましたが、真っ黒でなにも写りません。
その暗さは、中学生の時に沖縄の防空壕に使われた「ガマ」と呼ばれる洞窟内に入った事を思い出させました。
洞窟内で、黙禱をする為に持っていた懐中電灯を消しましたが、真っ暗すぎてかなりの恐怖を感じたのを今でも鮮明に覚えています。
その時の気持ちがすぐさま蘇ってきました。
非人道的とは、本当にこのことです。
独房の中にはトイレが付いている部屋もありましたが、そこに何人詰め込まれていたのかと思うだけで胸が張り裂けそうです。
城壁内部のトンネル
一旦収容されてしまうと、逃げることは不可能だと思わせる高い城壁。
城壁内部は数百メートルのみですが見学できますが、中はまた真っ暗です。
城壁の上にある芝生が茂っているエリアは、1部立ち入り禁止となっています。
聞いた話によると、まだ埋葬しきれていない方がそのまま眠っているからだとか。
もう、涙が止まりませんでした。
見せしめの処刑所と絞首刑台
ここでは、大要塞の管理権を国際赤十字社が得た5月1日から旧ソ連軍が到着する5月8日までの間でゲシュタポ(国家機密警察)によるの最後の虐殺が行われました。
「最大の囚人グループ、合計52名が1945年5月2日に射殺された。」と石碑にありました。
この絞首台で、一体何人処刑されたのか・・・。
想像するだけで、ゾッとします。
大要塞の見どころ
大要塞の見どころですが、Moose(ムース)が訪れた日は4月14日。
天候に恵まれず小雨が降る中での観光で、最低気温1度。
小要塞は基本的に外を回って見るので、体の芯まで冷え切ってしまいました。
さらに、お腹もすいてきて・・・。
周辺にレストランは見当たらず、お腹もすくし凍えて寒いしで早々にプラハへ帰る事にしました。
なので、大要塞の見どころは残念ながら博物館しか実際に見れませんでした。
ゲットー博物館
- 夏季4月1日~10月31日 9:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 9:00 am – 5:30 pm
パネル中心の博物館で、膨大な数の資料と読み物は1日ではとても消化できません。
特に印象的なのは、収容所にた子供たちが描いた絵です。
あまりにも悲しすぎて、写真に撮り忘れてしまいました。
1991年にゲットー博物館として公開する前は、警察博物館として使用されていましたが大要塞時代はは「L417」と呼ばれる少年収容施設でした。
博物館入館時に気が付き焦りましたが、レシートを財布に入れていたため幸運にも博物館の入口で再発行してもらえました。小要塞から見学する方はチケットの紛失に注意してくださいね。
マクデブルク兵舎
- 夏季4月1日~10月31日 9:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 9:00 am – 5:30 pm
5番の位置にある兵舎は、国際赤十字社の目を欺くためにテレジーンで許可されていた音楽・文学・芸術活動についての展示品が多くあります。
その中でも1番印象に残ったのは、ナチスの指示で制作したであろうプロパガンダ映画です。
白々しい偽りをしっかりと記録しているのでぜひ見て欲しいです。
遺骨安置所
- 夏季4月1日~10月31日 9:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 9:00 am – 5:30 pm
8番の位置にある遺骨安置所は、Moose(ムース)の体力の限界でいけませんでした。
火葬場が出来た事によって、数千人の犠牲者の遺物を保管していたことのある場所です。
当然、遺骨も収められていました。
火葬場
土曜日:休業
- 夏季4月1日~10月31日 10:00 am – 6:00 pm
- 冬季11月1日~3月31日 10:00 am – 4:00 pm
30分のお昼休みがあり、時間は変動します。
9番の位置にある火葬場は、大量虐殺を行ったガス室の無いテレジーンには不釣り合いな大きな炉が2つもあります。
しかし、ガス室が無くても3万5千人以上の方がテレジーンで亡くなっており、その遺体を焼くのにこの大きな炉が必要でした。
ゲシュタポの刑務所で亡くなった人を1200度で焼いた、1人あたり25分~40分かかるなど、生々しさが残る場所です。
火葬場の前にある埋葬地には、写真でよく見かけるユダヤ教の燭台メノーラーがあります。
実際に行って手を合わせたかったですが、広い大要塞の端っこに位置していたため体力が持ちませんでした。
旅行とは訪れる国の歴史も知れる貴重な経験
この記事内で、起こってしまった全ての事をお伝えすることは到底できません。
どれほどの惨劇があり、悲しい過去があったのかをお伝え出来るほどの文才が自分にない事が悔やまれます。
今、国境を自由に越えて色々な国へ旅行が出来るのも’平和’があるからです。
そんな私たちの当たり前が76年前には無かったのだと、どれだけの人がリアルに想像できるでしょうか。
楽しい事だけでなく、悲しい事実にもしっかり目を向けていきたいと思わせてくれる日帰り旅行でした。
皆さんもぜひ、時間が許す限り平和学習を自分自身の目で見て体験して下さい。
テレジーン要塞を詳しいガイド付きで見学したい方は、ツアーとセットになった日帰りプランなどもありますので参考にどうぞ。
この記事をきっかけに、少しでも平和の尊さ知ってもらいそれを伝えていこうという輪が広げられれば嬉しいです。